芸能の歴史 

  • 2016.01.02 Saturday
  • 19:36

        芸能の歴史  冬至−2

 

 古来、冬至を「唐の正月」ともいわれたのは、中国が冬至を一年の始まりとしていたからです。旧暦では冬至のある月は11月であり、19年に1回11月1日に冬至がくることがあり、それを朔旦冬至といって、大いに祝ったといいます。その流れが歌舞伎の新年が11月からであり顔見世興行なのです。西洋の文化圏でも、ケルト文化の11月1日のハロウィンの祭りも、ゲルマン民族にルーツを持つユールと言われる祭りも、ともに元は冬至の祭りであり、これがクリスマスと習合して、今も北欧文化圏ではクリスマスのことをユールと呼びます。またインド・イランにルーツを持ち、古代ローマで盛んだったミトラ教も冬至の秘儀の一種と考えられ、それがローマでは12月25日でありその日付にイエス・キリストの生誕を重ねることで、当時興隆してきたキリスト教が、それ以前の信仰世界と習合を図るためだといわれます。

 「ギリシャ神話」に目を向けてみましょう。「ギリシャ神話」は混沌から始まります。混沌−カオスからガイア(母なる大地の女神)、タルタロス(冥界の最深部の男神)、エロス(美しい愛の男神)が生まれます。ガイアはまず独力で天空(ウラノス)や海(ポントス)を産み、息子であるウラノスと交わりティタン神族を産み、さらに奇怪な一目巨人キュクロプスや、五十の頭・百の腕を持つヘカトンケイルを産みます。ところがウラノスはその奇人を憎み恐れ大地の底に押し込めます。それを恨んだガイアが子供のティタン神族にウラノスへの復讐を呼びかけると、唯一人クロノスが同意して母に協力します。夜、ガイアの閨にウラノスが覆い被さろうとしたとき、忍んでいたクロノスがウラノスの陰部を大鎌で切り取ります。ウラノスの傷口から大地に流れた血から復讐の女神エリュニスや奇怪な巨人ギガス(ジャイアントの語源となる)が生まれ、一方波立つ海に投げ捨てられた陰部からは白い泡が湧き出て、愛と美の女神であり絶世の美女であるアフロディテが生まれるのです。ちなみにボッティチェリの最高傑作「ヴィーナスの誕生」(帆立貝の上に乗った長い金髪の裸身アフロディテは、ローマではヴェヌスと呼ばれそれが英語読みでヴィーナス)の美しさの背後には、なんとも生々しくも血生臭い神々の血肉の争いがあるのです。この女神エリュニスと女神アフロディテの二人は「トロイア戦争」の発端を作る女神です。

 さて冬至はどこへ行ったとお思いでしょうが、これは脱線ではなく余儀ないのです(私の原稿も話も常々脱線・道草だらけなのですが)。冬が生まれるにはギリシャの最高神ゼウスが登場しないと始まらないのです。

 こうしてクロノスが父ウラノスに代わって世界を支配することになり、妹のレイアと結婚する(すべて近親結婚の連鎖です)。しかしガイアとウラノスにお前自身も息子に支配権を奪われるだろうと予言を恐れ、レアとの間に生まれた子供を次々に呑み込んでしまいます(これはゴヤの黒い絵のシリーズに「我が子を食らうサトゥルヌス −クロノスのローマでの呼び名−という強烈な絵があります。さらに道草をすれば、この絵は実は修復されていてわが子を食らうクロノスの股間は今は闇に沈んで何も見えませんが、もともとは勃起している陰部が描かれていたといいます。神々の世界はかくも残虐にして超倫理的なのであリます!)。

 6人目のゼウスを懐妊したとき、この子はなにがあっても守ろうとレイアは決心し、ガイアの助けを借りて、無事に生まれたガイアをクレタ島の山中の岩屋に隠して育てます。代りに石に産着を着せて夫に渡し、それを一気に飲み込むクロノス。成長したゼウスは父のクロノスをだまして吐き薬を飲ませ、それまで呑み込んでいたレイアの子供を吐き出す。まずゼウスの身代わりの石、すぐ上の兄で海の支配者となるポセイドン、冥界の王となるハデス、ゼウスの后になるヘラ、豊穣の女神であり、農業神であるデメテルと次々に吐き出すのです。このデメテルがゼウスとの間に生まれた娘がペルセポネ。このペルセポネが冥界の女王となるのです。

 ゼウスと再生した兄弟姉妹とオリュンポスに居を定め、クロノスの支配するティタン神族との10年に及ぶ戦いになります(ちなみにトロイア戦争が10年、オデュッセウスが故郷に帰るまでも10年です)。ややはしょって、ゼウスは10年戦争に勝利し、天空をゼウスが支配、海をポセイドン、ハデスが冥界を支配するという新秩序を形成 。オリュンポス神のゼウスを最高神とする12神が定まります。ゼウス・ポセイドン・ヘラ(ゼウスの姉にして正妻、婚姻の女神−ゼウスとは事あるごとに仲違い、それというのもゼウスが常軌逸した艶福家−あとで比較する「古事記」神話で相当するのは大国主命です)・デメテル(ゼウスの姉にして豊穣・農業の女神そして冬誕生の原因となる娘ペルセポネをゼウスとの間に設ける)・アテナ(ゼウスの娘ですが父がその息子に権力を奪われるという連鎖を断つべくゼウスは妊娠した妻−知恵の女神メティスを飲み込み、ゼウスの頭から金の武具に身を固めて生まれた、知恵と武勇の女神)・へパイトス(ゼウスとヘラの息子で火と鍛冶の神でアフロディテの夫−美女と野獣とも言うべきカップル)・アレス(ゼウスとヘラの子で戦の神(マルス)にしてアフロディテの愛人)・アポロン(ゼウスとレトの子で太陽神にして予言、音楽、医術の神)・アルテミス(アポロンと同じレトの子で狩猟と弓の女神にして月の女神でもある)・アフロディテ(これは誰の子というべきでしょう?ウラノスの切り取られた陰部と海の中で生まれた愛と美の女神で別名ヴィーナス)・ヘルメス(ゼウスとニンフのマイアとの子でゼウスの忠実な伝令役であり、商、旅、盗人、錬金術の神にして死者の案内人でもある、トリックスター的存在−エジプト神話の知恵のトート神、北欧神話のヴォ−タンに同一視もされ、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」にまでつながる−いつかこの大道草も書きます)・最後12番目はゼウスの姉で竈の神であるヘスティアとも、葡萄酒の神にして演劇の神であるデュオニソスとの両説ありますが、芝居の人間として、アルコールを敬愛する人間として、私は独断と偏見で12番目はデュオニソスを選びます。

 いよいよ冬の誕生です。デメテルは大地母神とも言われる豊穣の女神です。ゼウスとの間に生まれたペルセポネを溺愛していました。ゼウスの兄で冥府の王であるハデスがペルセポネに恋をしてしまう。これを許すデメテルはずがないと知っているハデスはゼウスと共謀して、百輪の花をつけた水仙を咲かせ、それを摘もうとしたペルセポネを大地の裂目から冥府に引きずり込んだのです。経緯を知ったデメテルはオリュンポスの神々に背を向け、貧しい老婆に変じて人間世界を放浪。

 この間にエレウシスの地のケレオス王に歓待を受けるが言葉も発せず、食べ物も口にしない。そこで王妃メタネイラの侍女が業を煮やし自分の性器を見せると、デメテルは笑い出し食べ始めます。

 これは天岩屋戸に隠れたアマテラスを引き出すべくアメノウズメがホトも露に舞い踊ったことと、神話学者はつながりがあるというのです。ともかくこの間、大地は枯れ飢えが蔓延します。

 さすがに困ったゼウスはヘルメスを冥府のハデスに使いにやりペルセポネを返すように命じます。承諾したハデスは策をめぐらせ、開放されることを喜ぶペルセポネの口に死者の国の食べ物ザクロの実を入れます。「古事記」でいう黄泉戸喫(よもつへぐい−死者の国の食べ物を食べることで同じ釜の飯を食って死者の世界に属することになる)であり、これはイザナキとの死せる妻イザナミを冥府に訪ねたときの重要なモチーフでこれもギリシャ神話と重なります。

 つまりはペルセポネは冥界との繋がりを絶てない体となったのです。そこでのゼウスの妥協案が1年の3分の1は冥界に残りは地上で母とともに暮らせることになったのです。しかしペルセポネが冥界にいる間は大地は枯れ実りを結ばない冬の季節になるというのです。

 嗚呼!やっと冬にたどり着きました。これまで長々と書いてきたのは、上記のように、またこの後も「古事記」神話との比較と共通点を探索しそれを芸能史的に解き明かしたいからです。

 わが敬愛する白川静先生とともに言葉の語源に遡ると、大和言葉の「ふゆ」は語源は明らかではないとしつつも、「冷(ひ)ゆ」「古(ふる)」「経(ふ)ゆ」等の諸説を上げている。漢字の「冬」は糸の末端を結び留めて織物などの終わりを表す象形文字であり、季節名に用いられるのは列国期からといいます。 

 宮中の祭りでは旧暦の11月に相嘗祭、鎮魂祭、新嘗祭が催されます。折口信夫によれば鎮魂祭では「みたましずめ」と「みたまふり」がともにおこなわれ、これによって魂がめられるとともに振り動かされ更新され、殖(ふ)ゆると捉えましたまた、柳田國男は冬祭りの中心となる旧暦11は冬至を含む時期であり春に向かう転機であることを指摘し、日本の祭りは本来旧暦11を基点とすると考えました。実に刺激的であり芸能的なのであります。

 舞踊の振りも、根源まで遡れば魂の発露としての魂振りにたどり着くと私は考えます。それが中世から近世にかけて展開すると身振り手振り、踊る振りが面白い(これは狂言小謡「七つになる子」の一節)となっていくのです。ここにも芸能史の時代との関係が見て取れます。

 さて「古事記」との比較に戻りましょう。古事記神話もギリシャ神話と同じように、国若く浮ける脂のごとくして、クラゲなす漂える混沌なかから神々が生まれ、これも大いにはしょって、その系譜からイザナキ、イザナミが生まれ、それから国産みになりイザナミは,次々とイザナキの子供を産み、その果てに火の子を産みホトを焼かれて死にます。

 イザナキは黄泉の国に亡き妻を訪ねると妻のイザナミは来るのはが遅すぎた!といいます。夫はいつも行動を起こすのが遅すぎると妻に非難されるのもここから始まります。あなたが来るのが遅すぎたので、黄泉戸喫(よもつへぐい)をして死者の国の人間なってししまっているというのです。まさにペルセポネと同じ話です。それでもせっかく来てくれたのだから、黄泉の国の司(ギリシャ神話ならばハデスに相当)と「あげつらってくる(議論してくる)」から、私が帰るまで決して姿を見ないでと約束をして去ります。ところが男は闇の中で待つうちに不安に駆られ、竹櫛に火を点して妻の姿を見てしまいます。嗚呼!男はがいつも我慢ができない、見るなといわれると余計見たくなる。その姿は、蛆たかれころろき(蛆虫が肉を食らう不気味な音)、大小数々の雷神が巣食う恐ろしい姿。恐れて逃げるイザナミ、憤怒の相で追いかけるイザナミ。わが国の激烈な夫婦喧嘩の戦闘開始です。

見るなの禁忌を犯したがゆえに愛するる妻を連れ戻すことができなかったという同じ神話構造を持つギリシャ神話が「オルペウスとエウリュディケ」の物語ですが、結末が決定的に違います。

 これは夫婦喧嘩ではなく、戦争です。                            −続く−

 年末から正月2日までギリシャ神話の始まりからの迷宮をさまよってきました。疲れました。

 芸能の始原に遡る視点で10年前に書いて60回新聞に連載した「芸能の力−言霊の芸能史」も併せてアップします。第一回はイザナキ・イザナミの物語と「オルフぺウス」のオペラについても触れた「第一回 芸能とは ,泙再本を知る」と「第二回 芸能とは◆/祐屬寮弧仁呂糧露」です。

読み比べて下さい。

 

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